福祉の現場を志す理由として、「人から感謝されるから」「ありがとうと言われるから」と語る人がいる。しかし、冷静に考えてほしい。世の中に存在するすべての仕事は、誰かの役に立っているからこそ価値があり、対価が生まれている。飲食業も物流も、清掃も研究職も、すべてが尊く、世の中はそれらの営みによって支え合っている。
福祉だけが特別なわけではない。
ましてや、「ありがとう」と言われたいという理由で命に向き合う仕事を選ぶのは、あまりにも自己中心的で危うい。感謝を求める気持ちの矛先が、自分自身に向いている限り、それはエゴにすぎない。
福祉とは、感謝されるための行為ではない。誰かに感謝されたいと思うその瞬間、すでに「支援」ではなく「期待の押しつけ」になっている。命と向き合うとは、目の前の人の苦しみ、弱さ、尊厳に心を澄ませること。見返りを求めず、向き合うための覚悟が必要なのだ。
仕事や成長というものは、自分自身に気持ちが向いているうちは、なかなか本質的な変化を生まない。なぜなら、「自分がどう思うか」「自分がどう評価されるか」といった内向きの意識は、成長の原動力にはならないからだ。
しかし、相手に気持ちが向いているとき、つまり、目の前の誰かを真剣に思い、支えたいと願ったとき、人は自然と動く。努力しようと意気込むのではなく、「その方のために何ができるか」を考え、実行に移す。その積み重ねが、結果として人を大きく成長させていく。
たとえば「おむつ交換が大変だから嫌だ」と感じるとしたら、それは完全に自分側に気持ちが向いている状態である。しかし、そこにあるのは作業ではない。おむつを必要としているご本人の心がある。恥じらいや不安、衛生への願い、そして何よりも「人としての尊厳」がある。その方の立場に気持ちを寄せれば、私たちは率先してその支援をさせていただくべきである。
「今日も人手不足で大変だ」「つらい」と感じる日もあるだろう。だが、冷静に考えてほしい。あなたが支援できる回数は限られている。たとえば週5日勤務の正社員なら、1年で260日ほど。つまり、1人の方に出会い、共に過ごせる時間は限られている。そして高齢者福祉の現場において、別れは突然やってくる。穏やかな最期ばかりとは限らない。
だからこそ、一日一日、一瞬一瞬を大切にしたい。その方と過ごす「今日」は、二度と戻ってこない。私たちは、支援の名のもとに、一つの命から学ばせていただいている。そしてその命は、人生の先輩として、私たちに身をもって何かを伝えてくれている。
それを「作業」として通り過ぎるのか、「学び」として真剣に受け取るのか。選ぶのは、私たち自身だ。
人生をかけて教えてくださっている相手に、私たちはどう向き合うか。
だから、学ぼう。本気で。命から学ぶということを、福祉という現場で体現していこう。
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