私は、自分を「良い人間だ」などと思ったことはありません。
むしろ、性格は厳しすぎるし、こだわりも常軌を逸している。中途半端なことや妥協には、一切耐えられない人間です。
扱いづらいと言われることもある。でもそれでいい。誰かに合わせるために生きているわけではない。
この命と、この手で創る福祉に、責任を持っているからです。

私は、ADHDとASD、両方の特性を抱えています。

10代の頃、私は地元で最も荒れていた不良でした。中学校から施設へ送られたのでもちろん中卒です。その後も暴走族、そして二度の少年院生活。そんな中、新潟少年学院で受けた福祉の授業が、まるで雷に打たれたような衝撃となりました。

出院後、私はすべての人間関係を遮断しました。福祉の世界で生きると決めたからです。
無資格・未経験から現場に入り、すべての福祉国家資格を独学で取得。30歳で起業し、自分が納得できる福祉施設を創るため、地道に積み重ねてきました。現在は28社目となる連続起業家として、福祉の可能性を広げる挑戦を続けています。

もちろん、その道のりは平坦ではありませんでした。
ある外国人との案件に巻き込まれ、信用を失い、いくつかの法人を破産させたこともあります。
それでも、何度でも立ち上がればいい。過去はすべて経験であり、未来に変えられる資源だと信じています。

私は、失言が多く、空気を読めないこともあります。だからこそ政治ではなく、福祉という「人の命と日常」に直接関われる領域に身を置いています。

ADHDやASDという特性もあって、感性や捉え方が人と違うことも少なくありません。
でも、だからこそできる福祉がある。私はそう信じています。

私生活では、お酒・たばこ・女性のお店など、自分にとって不要な誘惑をすべて断ちました。起業家として24時間、素面で正確に決断できる状態を保つこと。それがトップの責任だと思うからです。

体型や姿勢、食べ方や清潔感も含めて、自分を律すること。
それらは自分自身のためだけでなく、社会への信頼につながると考えています。

顔の造形ではなく、所作やマナー、エチケットを美しくすること。
私も含め、日本中の人々が少しでも意識を変えたら、この国はもっと美しくなるはずです。

私の生き方が、そのまま「恩の福祉美学」という哲学を生みました。

これは単なるマニュアルではありません。
リッツカールトンのホスピタリティを土台に、福祉の専門性と命へのまなざしを融合させた、日本初の“福祉美学”マニュアルです。
全国最多の項目数を誇り、制度・動作・感性のすべてを統合しています。

現在、私はアジアから福祉インフラを整えるため、さまざまな国と連携しています。
それが「恩のネットワーク」であり、「恩倶楽部」の存在理由です。

私は、朝起きてから寝るまで、福祉革命のことを考え続けています。
周囲からはストイックで、こだわりが強すぎると言われます。でも、すべては命の現場を良くするため。
自分の特性や過去もすべて糧にして、福祉に人生をかけています。

たとえば中国では、今から80年後には人口の47%が高齢者になると言われています。
その多くは一人っ子政策の世代で、子どもに頼れない高齢者が増える未来です。
福祉がなければ、孤独死の連鎖は止まりません。

かつて中国人とのトラブルも抱えました。

でも、それもすべて過去の話。

私は中国の人たちにも、悔いのある死に方をしてほしくないのです。

だからこそ、国を越えた福祉教育と仕組みづくりが必要です。

トヨタが車を、松下が家電を世界に届けたように、
私たちONGROUPは「福祉」という当たり前のインフラを世界に届けたい。

それが、私の使命です。

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